お金、性、死の三つは、日本人にとってタブーな話題です。その中でも自分の死については考えたくないものです。
私の両親は二人とも認知症ですが、だんだん生活が困難になってきています。
父は80歳ですが、脳の血管のこぶが大きくなっているので、カテーテルの手術をするために先日入院しました。
しかし、環境の変化に驚き、認知症の症状が出てしまい、点滴を抜いたりして暴れてしまい、結局手術は中止になってしまいました。
そんな父ですが、少しは終活をしようと思ったみたいで、エンディングノートを取り寄せていました。
でも、認知症の人が読んで理解できるわけがありません。一行も書き込みがなく本棚に収まっています。
それで、終活セミナーの必要性について改めて考えてみました。
認知症が始まった80を過ぎた老人が終活を行えるか

人は死んだら終わりです。でも家族は残ります。人が死んだら、悲しみにくれる暇もなく、様々な決定をしていく必要があるのです。
葬式はどうするのか? 住んでいた家はどうするのか? 財産や借金はどうするのか?
役所に死亡届を出す必要もありますし、金融機関の手続きもあります。
もし、亡くなった本人が手続きしていれば簡単なものでも、他人がするとなると違います。
元気なうちに煩雑な手続きをしてくれているなら、家族は助かります。
特に最近では、なんでもパスワードが必要になっています。
パソコンやスマートフォンなどがロックしたままで、解除できないという問題もあります。
墓まで持って行きたい秘密があるかもしれませんが、パスワードくらいはどこかにメモしておいてほしいものです。
とはいえ、父はとっくに認知症が始まっています。
家の鍵を何度もなくし、外出時に靴をはくことさえ忘れます。
そんな人が終活をできるわけがありません。
もちろん100歳近くでも、頭がしっかりして現役バリバリの方はたくさんいます。
上手に終活をサポートするために
それなら家族が代わりにすればいいと思うでしょうか。
他人の終活を積極的に行うのは、なんとなくしにくいものです。
本人からお願いされたならまだしも、こちらから色々アレンジしておくというのは、道義的に抵抗があります。
特に財産分与に関して、話を持ち出すのはまるで財産目当てのようです。
死を早めているような気がします。子供にとって、いつまでも長生きしてほしいと思っています。
でも現実問題いつかは死を迎えますし、本人の意向を尊重したいと思います。
終活セミナーというのがあるらしく、親の終活のために参加するケースも増えているそうです。
確かに私は終活についてほとんど知りません。
まだ夫婦それぞれの高齢の親が四人とも健在ですから、終活について多少は知っていた方がいいのは事実です。
しのびよる老いの現実

日本女性の平均寿命は87.45歳、男性の平均寿命は81.41歳で、世界でもトップクラスの長寿大国です。
しかし、健康寿命というのがあります。健康上の問題で日常生活に制限がある期間があるのです。
それが女性が12年、男性が9年と言われています。
そうなりますと、女性が元気なのは平均75歳までです。男性が元気なのは平均72歳までです。
現実に目を向けてみますと、施設で世話されている人がたくさんいますし、訪問介護員の世話を受けている人もたくさんいます。
私の両親の家にも週に三日、訪問介護員の方が来て助けてくれています。
すっかり年老いた両親を見ると、老化の残酷さを実感します。
体が弱るのはまだしも、知力がどんどん衰えています。
大昔は痴ほう症という言葉がありませんでした。
「わらし返り」と言いました。わらしとは童という感じの通り、「こども」という意味。
子供に戻るということです。
確かに両親はこどもに戻っています。自分でできることが減っていっています。
「歯磨きした?」
「トイレ行かなくて大丈夫?」
と聞くことは日常茶飯事です。
恐らく私が幼いころには彼らが言ってくれていたセリフでしょう。
最後の親孝行になるか
だれにでも「最後の日」がきます。
考えたくもないかもしれません。想像もつかないでしょう。
それは生きることが人の本能だからです。生きたいのです。
親が納得して人生の最後を迎えてほしいものです。
最後の親孝行として何かしらできることがあるかも・・と思う今日この頃です。
機会があれば、終活セミナーに参加してみたいと思っています。