だれかの言葉にひどく傷つけられ、苦しんでいるでしょうか?
家庭内における言葉の暴力は多くの悲しみをもたらします。加害者にとっても同じです。
自分がまさか、身近に経験するとは思ってもみませんでした。
それは夫の父親によるものでした。
結婚後に経験した義父からのモラハラ
モラハラという言葉は新しい言葉ですが、古今東西存在してきた問題です。
とりわけ家庭内でモラルハラスメントに遭遇するのは耐え難い苦痛をもたらします。
私たち夫婦は夫の父親からの長年にわたる、モラルハラスメントから甚大な被害を被ってきました。
もちろん自分たちが被害者だと主張しているわけではありません。でも被害者です。
義父の私たちに対する態度はモラハラの定義にあるように、人格を貶める言動や発言、見下すような態度といったものです。
定義の範囲は抽象的かつ相対的なものであるため、どこからがモラハラなのか判断に迷います。
具体的に言うと、「ろくな仕事についていない。安月給のくせに」という内容です。
モラハラワード
- 給料が安い
- 怠けている
- バカ
- アホ
- ろくな仕事をしてない
- 俺が養ってやってる
それを、ありとあらゆることを罵詈雑言を使って発信してきます。
すべて根拠がありません。
そして私たち息子夫婦だけでなく、お姉さんや妹さんにも同じ対応です。
優しい父親に育てられた私は、義父から「お前」と呼ばれることさえ不快感を感じます。
「お前」なんて学生が校舎裏で喧嘩の時に使う言葉だと思っていましたから。野蛮です。
夫の父親には、自分の親に対するのと同じ気持ちで接しようと思っていました。今でもそうです。
愛する私の旦那さんのお義父さんだと思うだけで、情がわいてきます。
ところがモラハラ言動があると、その思いは玉砕します。
いつの日か介護をする日がきたら、優しく介護をできる自信はまったくありません。
モラハラが当たり前のことになっている
夫の実家に帰省するたびに、批判され嫌味を言われます。
もちろん私たちだけでなく、お義母さんやお姉さんたちにも言うわけですから、機能不全家族です。
で、怖いのは誰でも自分の家庭、両親が初めての世界であり社会です。
それが一生自分のスタンダード、基準になります。
はたから見れば、モラハラ親父であっても、それが父親というもので罵詈雑言も普通の日常になるのです。
その証拠にそれほど言葉の暴力で家族を苦しめているにもかかわらず、だれも本気で義父のことを悪く言いません。
どんなにひどいことを言われても、お父さんであることに変わりないからです。
すばらしい家族愛。
それだけに家族は被害にあっているにも関わらず、それに気が付きません。実際の暴力と違って目に見える傷がないからです。
夫に、「あんなこと言われて、悲しくないの?」っていつもききます。
答えは「もう慣れているから」。と
慣れているわけありません。
慣れますか?
馬鹿にされ、けなされて、存在を否定されることに人は、慣れることができるのでしょうか?
モラハラをする理由
なぜ人はモラハラをするようになるか。人を低めて自分を高めるためです。
なぜ高める必要があるのでしょうか。
それは自尊心が低く、自己肯定感が低いからです。
誰にも認めてもらえない、誰からもすごいね!って言ってもらえない。
他人を悪く言うと、自分が高められるような気がする。それに快感を覚える。
妄想の中の自信。砂の城。
無条件で自分を認めて、愛してくれる人がいないから。
自分を認めてもらおうと必死にもがいている結果がモラハラです。
いえ、愛してくれる人がいないのではないのです。
みんなお義父さんのこと愛しているのに。口汚い言葉をいくらはこうとも。
それに気が付いていないのです。
では人はなぜ家族にモラハラ行為をしてしまうのでしょうか。
つづく
カウンセラーが語るモラルハラスメント
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