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【海外引越】インドのフブリからフィリピンのバラバク島へ引っ越し

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海外引越

インドのフブリで2年暮らした。

物価も安くて、気候も環境も気に入っていたが、ビザが難しくなってきたので引っ越すことに。

ビザの件はこちら→インドに長期滞在するにはどうすればいいの?

ベトナム、インドネシアといくつかの候補地を経て最終的にフィリピンに。インドからフィリピンへの引っ越しは順調に出来たのでしょうか?

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荷物はどれくらい?

スーツケースにきれいに詰められた荷物。結局後でゴチャゴチャになる。

いくらミニマリストとはいえ一世帯の生活用品一式をまとめるとかなりの量になる。

結局スーツケース3つと手荷物3つにまとめた。

行き先の物価が安い場合は、現地で調達してもいいが、今回はインドから物価の高いフィリピンへの引っ越し。しかも物価がさらに高いへんぴな島に行く(安いのはバナナと魚くらいだそう)。

そのため、インドで使っていた生活用品を含めて持てる限りスーツケースに詰め込んだ。ハンガーや洗濯ロープ、などの雑貨は海外では意外に高価。テドリスのように詰める。

重量オーバー

スーツケース。ピンクは手荷物。

家に体重計がないので、正確に計る事が出来ない。

今回はLCCを使うので、オーバーしたら超過料金が請求される。

預け荷物のMaxは60キロ。詰め込んだスーツケースを持ってみるとめちゃくちゃ重い。明らかにオーバーしている事が分かる。

とりあえず空港でチェックインの手続きをする。

荷物を計ると7キロオーバーで追加料金が7,000ルピー。日本円で13,000円。

そんなに払うのはもったいないので、スーツケースを広げて、価値が低いものから空港内のゴミ箱に捨てることに。

大量のハンガーやケーキの型、一応持ってきたインドの服、2年間使用した木のお皿。それでも2キロオーバー。

小さな空港なので、暇な空港スタッフが我々の荷物処分を物珍しそうに見ている。厳選した物の中からさらに選別するのは至難の業。どれも捨てがたい。

捨てては量り直すという作業を何回も繰り返してると、航空会社のキャプテンみたいな人が来て、しびれを切らしたように「そんなハンガーとかは軽いんやから、とにかく布類を抜いて手荷物にいれたまえ」と言ってきたため、手荷物は服でパンパンになった。

結果として、手荷物の重量と個数は増えたがそれは問題なし。無事に超過料金なしで荷物を預ける事が出来た。

スーツケースのサイズは非常に理にかなっている。

持ち運びが困難なほどぎっしりと詰め込むと、確実にオーバーしていることが分かった。

8分目にしておくと体重計がなくてもおそらく重量オーバーしないのではないか。

ちなみに、すべての荷物を合わせると80キロほどだったので移動が大変だった。全財産80キロ。多いのか少ないのか。

消えたパスポート

今回の引っ越しでは、目的地に到着するまでに四回のフライトと車移動と船。トータル76時間の移動時間。パスポートを取り出す回数も多い。

問題が起きたのは、フィリピンのマニラからパラワン島に行くフライトに乗る時。

搭乗手続きが始まったので、リュックからチケットを出そうとしたが見当たらない。パスポートも。

一瞬頭が真っ白になる。

盗まれたのか?

もしくは落とした?

リュックをひっくり返して探したが出てこない。

両替した時に忘れたのかもと思い、慌てて両替所に戻る。

確認するがない。

座っていたベンチにもない。

空港のポリスがいたので、落とし物でパスポートがないか確認してもらうがない。ポリスはX線でカバンを確認するから持ってこいと言う。

とりあえず、搭乗口に走って戻ると何と妻が2人分のパスポートと搭乗券を持って手を振っている。

安堵の息をついた。

普段なら自分のカバンにしまうはずが、どこかのタイミングで妻が受け取り彼女のリュックに入れられたのだ。しかもそのカバンは預け荷物から抜いたリュックだったので、そんなところにあるとは思わない。

全身汗びっしょりの中急いで搭乗。

妻はパスポートをリュックの中に見つけてすぐにライン電話をかけたが、空港Wi-Fiを繋げてなかったので、連絡が取れなかった。

教訓1→パスポートとチケットは別に小さなポーチに入れて首から下げると良い。まるで初めての海外旅行者のようで格好が悪いと思うかもしれないが、それが安全。

教訓2→いつでも携帯で連絡を取れるようにしておく。

ほんとに旅行や移動中は、想定外のことがたくさん起きる。人生の縮図だ。

船に乗れない

プエルト・プリンセサ空港

プエルト・プリンセサ空港(パラワン島)に無事に到着。これまた小さな空港。

空港には無料Wi-Fiがないので要注意。ターミナルを出る前にフィリピンのSIMカードを購入。

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フィリピンに到着した翌日には市内にあるイミグレーションオフィスに行きビザの申請。

そうすることで到着の翌日から数えて59日間の滞在が可能になる。今後は2ヶ月毎に更新手続きをする。

特急料金を払って当日にビザを取得する事が出来たので、次の日の早朝3時にパラワン島南の港に行くバン(たぶん12人乗り)に乗って出発。

約5時間狭い車内で上下左右に揺られながら目的地のブリルヤンを目指す。

8時過ぎに到着。

ブリルヤン港

ところがいざ港についてみると、雑然としておりチケット売り場もなくどっちに歩いていいのかさえわからない。

適当に見当をつけてそれらしき船の所に言ってみるが、どの人がスタッフなのかもわからない。ただボートの前にたくさんの荷物が並べられていた。

船乗り場


インド人なら確実に「どこに行きたいの?」って聞いてくれるよな…とすでにインドが恋しくなってきた。まさかフィリピンがインドよりもカオスだとは思わなかった。

小さな黒バックを斜め掛けしてる人に「バラバク島に行くか?」と聞いても頷くだけ。

乗ろうとすると「待て」と言われ待っているうちに、二つの船がすでに満席になった。手順が全く読めない。

挙げ句の果て「今日の船はもうない」と言われ途方にくれた。

そんな中、一人のおっちゃんが「どこから来たんや?」と聞いてきた。「ジャパニーズや」と答えたら、「それに乗れ」と言って、無理やりねじ込んでくれた。

ジャパニーズじゃなかったら乗せてくれなかったんだろうか。そんな疑問が浮かぶがとりあえず乗れればよし。

ほんとどういうシステムなのだろう。

他の乗客にはライフジャケットがあったが、我々には無かった(涙

途中船から船に乗り換えたが、無事に到着。ここまでで出発から到着までに76時間を要した。疲労困憊。大旅行だった。

宿泊先までトライシクルで移動。

フィリピンは日本に近いが、インドのフブリからバラバク島に着くには地球の裏側に行くのと同じくらい時間がかかった。

インドのフブリからフィリピンのバラバク島に引っ越しを終えて

今回の引っ越しは大変だった。

しかし、正確に言えばまだ終わっていない。

今は仮住まいで家がまだ見つかっていない。

島なのでアパートみたいなものが少ないらしい。

しかも、到着して始めて知ったのだが、現地の人はかなり原始的な家に住んでいた。

詳しくは後日別のブログで紹介することにするが、想像していなかったような生活になりそうだ。

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