約二年間住んだインドのプネー市。離れる実感もなく当日が来ました。
コロナ禍で帰国するにはどんな準備が必要だったのでしょうか?
また、当日の流れはどんな感じだったのでしょうか?
帰国までの事前準備には何が必要か?
絶対やらないといけないことは二つ。
一つはFRROで出国の証明書を発行してもらうこと。
詳しくはこちらで⇒コロナ禍での日本への緊急帰国ー出国までの手続きには何をしなければいけないのか?
もう一つはPCR検査をして、陰性証明書をもらうこと。
詳しくはこちらで⇒【2021年9月】インドからの帰国のために現地の病院でPCR検査をする
この二つだけ忘れなかったらとりあえず飛行機に乗れます。
後の準備はしておいたら、到着後にスムーズに入国が出来るという内容です。
政府指定のアプリをスマートフォンにインストールしておきます。
「MySOS」と「接触確認アプリ(cocoa)」と「質問票」です。
日本に到着してからでも出来ますが、手続きにかなり時間がかかるので事前にしておいた方がいいです。
誓約書も飛行機の中で配布されますが、事前に印刷して書いておくとスムーズです。
ムンバイの国際空港に向かう

スーツケースを三つ抱えて、慣れ親しんだ家を後にしました。
行きつけの近所のバナナ売りのおじさんに日本に帰国することを伝え、一緒に写真撮影。
プネー市からムンバイまでは配車タクシーのウーバーを使って移動。
日本ではタクシーは高くて乗ることがほとんどありませんが、インドは安いので良く活用しました。
三時間半ほど乗って2,534ルピー。約3,800円。

いつも節約のためにLCCを駆使していますが、今回は他に選択肢がなくANAで帰国することになりました。
日本に到着してからの流れ
成田空港に到着したのは日本時間で朝の8時20分。
飛行機を降りてしばらく歩くと通路沿いに椅子が出現。
左右にディスタンスを保ちながら並べられています。
ここでこれから必要な書類を鞄から取り出して準備しておきます。数名のスタッフが親切に対応。
成田空港に到着する飛行機は一番早くても6時台とのこと。
この日は私たちの下りた飛行機より前に人はいませんでしたのでスムーズでした。
その次のブースで、書類を再び確認。その時に、「隔離ホテルでツインルームはあるのか」と尋ねましたが「ない」とのことで、用紙にシングル(夫)、シングル(妻)と書かれました。
(基本的に一人一部屋みたいですが、ホテルに着いたらツインルームに案内してくれました。)
その次にPCR検査で使用する検査グッズを渡されます。パスポートの裏に番号がついたシールが張られます。
プラスチックの試験管とロートの組み合わせです。
それをもって、次の場所に行くと、試験管に唾液をいれる場所があります。
仕切りで区切られたスペース。黒いラインまで唾液を入れます。三、四回ほど唾液を吐きだして、係の人に渡します。
その後、次の場所に移動。事前に質問票の準備もしており、アプリもインストールしているのでスムーズに進みます。
準備を全くしていないと時間がかかってしまうのです。
待ち時間にスタッフを観察していると、フェイスシールドをしている人とそうでない人がいます。
形もバラバラなので、自腹で準備しているのでしょう。
対応してくれるスタッフも多国籍で、多言語に対応していました。
その後、アプリの設定をしてもらいます。
何回も書類のチェックがあるので、何を確認しているのかこっちは全然わかりませんが、少しずつ進んでいきます。
登録したメールにきちんとメッセージが届くか確認。
最後まで来ますと、PCR検査の結果待ち。
ここで陰性なら、やっと入国手続き。
パスポートにハンコをもらって、荷物を受け取ります。
飛行機が成田空港に到着してから、全ての書類をチェックして終わるのに3時間ほどかかりました。
朝一番で人が少なかったので早かったですが、通常であれば4時間以上かかるとのこと。
隔離ホテルに到着してすべてが終わったのは午後二時。
空港からホテルまでバスで一時間ほど時間が必要でした。
ホテルでも手続きや説明を受けたので大変。
コロナ禍でどんな人が国際線に乗るのか?

当たり前の話ですが、旅行目的の人は皆無。
では、どんな人がコロナ禍で国際線に乗るのでしょうか?
ムンバイから日本に向かう飛行機で日本人は私たち以外に二人しか目にしませんでした。
見るからに出張でインドに来たビジネスマン。
インドに来る日本人は99%ビジネスか国際結婚している人。
他の乗客を見るとインド人ですが、どのようなビザで入国するのかはわかりません。永住権を持っているのか、それともビジネスなのか。
タイから到着した飛行機もあり、何人かの人とは同じホテルでした。
一人の日本人男性はタイに住んで10年でダイビングの仕事をしていたとのこと。
しかし、コロナで仕事が無くなり今回日本に引き揚げたと言っていました。大きな決断だったと思います。
10歳のタイ人の女の子も一人いました。
ホテルのスタッフも焦っていましたが、子供一人飛行機に乗せたという事でしょうか?
親は隔離のことを知らなかった?
真相はわかりませんが、女の子が一人で隔離生活をしなければならないというのは酷な話です。
思っていた以上に成田空港を利用している人は多くいました。
インドでステイホームを一年半送っていた間は人との接触が最小限に制限していました。
ほぼすべてをオンラインで行い、人と実際にあって話すことは皆無の547日。
そのため今回帰国の途上で接触した関係者スタッフ、係員の方々すべてが、なぜかとても愛おしく見えました。
人に会えた喜び。
会えたというよりも見ただけです。
あたりまえのことがあたりまえでなかった日々。
とりあえず無事に着いたことに感謝しながら帰路に着くのでした。