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姑は宇宙人だったので地球の空気を読めなかった!

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宇宙人である母

あなたの周りにも一風変わった人の一人や二人がいるのではないでしょうか?

変わった人、個性的な人と普通の人を隔てているものはなんでしょうか。

そしてアスペルガーや適応障害とそうでない人との境は非常にあいまいのように思えます。

結婚してから、夫のお母さんをなんとか理解しようと悪戦苦闘して10年が経ちました。

最初は当然ながら、お母さんは常識の範囲内の人と思い込んでのスタートです。

そのためお母さん個人の性格や特性を理解するのに、かなりの時間がかかることになります。

「なんで、こんなことするのだろう?」

「なんでそのセリフ?」

帰省を終えて家に帰ってから何か月も、紋々と考え込んでいました。

私の引き出しにも謎を解くカギはなく、解析不能でした。

結論としてはお母さんは宇宙人だったということです。

しかもとてもかわいい宇宙人でした。

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姑は雑談ができなかった

お母さんは雑談ができません。

天気の話はできます。

「今日は暑いね」

「昨日まで寒かったのに、変な天気ね」

という具合。

もちろん天気の話を延々とできるわけではありません。

そのほかの雑談は一切できません。

つまりキャッチボールができないのです。

私が質問を投げかけますが、大抵の返事は

「うーん。そうね・・」

お答えがないわけではなく、とりとめのない返事。

そして私の問いかけに必ず、

「えっ!」とまず言います。

聞えなかったのかなと同じ質問をします。

ところがお母さんを観察しているうちに、耳はすごく良いことに気が付きました。

それで、「えっ!」と言われたときに、試しに何も言わないで待ってみることにしました。

案の定、やっと質問の答えが返ってきます。

聞えていないのではなく、反応が遅い?私にはわからない信号?なのでした。

夫も自分の母親でありながら、そのことにまったく気が付いていません。

私と同じように大抵の質問を二回繰り返します。

このように話していても変な間があるのです。

もちろんお母さんから何かの雑談を仕掛けてくることもありません。

ではお母さんに人間との会話は必要ないのでしょうか?

そうではないのです。

私と夫が何気ない雑談をしていると、耳を凝らして聞いています。

加わることはできませんが、楽しそうに目を細めています。

気をつかって、

「お母さんはどう思う?」

と聞くものの、お答えはありません。

お母さん自身は会話はできないものの、会話には加わりたい様子です。

以前お母さんを連れてお出かけしました。そこで私の友人に会ったのですが、つい話が弾んで長話になってしまいました。

背の高い友人に合わせるかのようにして精一杯姿勢を良くして、お母さんは一生懸命話を聞いています。

友人はお母さんを気遣って、そばにあった椅子を指して

「立っているときついでしょうから、おかけください」と言ってくれました。

「いえいえ、大丈夫ですよ」と言うと、夫が

「話に加わりたいんだよ」と言いました。

ふと見るとお母さんはテンションが上がって頬が赤くなっていました。

一言も話していないけれど、会話を楽しんでいるんだと実感したものです。

会話に加われない母
お母さんにはこう聞えているのかもしれない

姑はなぜか標準語で話す

お母さんは佐賀県唐津市の海沿いの小さな町で生まれ育ちました。

何もないとはこのことで、コンビニも信号もありません。

20代前半で嫁ぐまで住んでいたそうです。

ところがなぜか標準語なのです。

それも長年の謎でした。

私が立てた仮説は

  1. 唐津市の人は標準語を話す
  2. 結婚してからは神奈川県に住んでいるから
  3. 標準語を話さないといけない環境で働いていた

しかしどれも違いました。

お母さんが佐賀県に帰省するときに同行したことがありますが、やはり標準語でした。

謎は保留にして月日が経過していましたが、最近ある興味深いテーマを扱った書籍についての記事を目にしました。その書籍のタイトルは

「自閉症は津軽弁を話さない」と言うものです。

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著者は松本敏次氏

著者の奥様がある日、自閉症の子供が津軽弁を一切話さずに標準語で話すことを、何気なく夫に話します。

そんなことはないと、妻の主張の誤りを証明するために研究を開始します。

なんと答えが出るまでに10年かかりました。しかも奥様の主張通りだったのです。

なぜ自閉症の子供が方言を話さないかというと、言葉の学び方に原因がありました。

多くの子供は人と関わり合いながら自然に言葉を学びます

観察したり、実際に自分に向けた言葉をとらえたりして吸収します。

一方で自閉症の子供たちは、それができません。では、どうするのでしょうか。

テレビです。テレビを見て言葉を学ぶそうです。

そのため標準語になるというわけです。

私の頭に電球がパチッ!とともりました。

これです。これで謎が解けました。お母さんが標準語しか話さないのは、他の人との交流を通して言葉を学んでこなかったからです。

お母さんもテレビで言葉を覚えたんだと思います。

たぶん。

ものすごい自己肯定感を持つ姑

現代人に欠けているものは自己肯定感だと言われています。

自尊心が低く、自分の価値を正しく評価できないことでバランスを崩してしまいます。

その点お母さんは人もうらやむ自己肯定感を持っています。

自分に属するものはすべて善であるという信念です。

たとえば、庭の柿の木の葉っぱで作った謎の塗り薬。原材料は葉っぱと焼酎です。

これは何にでも効くのだと言っています。保湿にも効果があると言い出す始末。

いやいや、アルコール塗って保湿はないでしょ。

その代わり市販のものは良くない。市販の物でも生協の物は大丈夫というのが彼女のポリシーです。

だから絶対振り回されません。信じているのは生協と自家製だけだからです。

常にポジティブで、ネガティブなことは排除しようという本能が働いています。

だから病院が嫌いです。

病院に行くなら、自分が病人だと認めることになるから。

なんやねん。そのプライド。

結果としてお母さんはいろんな病気が悪化しています。一番ひどいのはリウマチ。

手足は変形、あちらこちらが脱臼しています。何度も治療をやめたためです。

ポジティブなので、病院にちょっと通っただけで

「よくなってきた」と思い通院をやめます。

足が変形して、合う靴がないので一緒に買いに行きました。外反母趾になっているうえに、中指と薬指が重なっています。

それでも絶対に「痛い」とは言いません。本当なのか、自分に負けたくないのかわかりません。

昭和の雰囲気が漂うデパートの中をさんざん探しました。足の測定もしてもらいましたが、合うものはありません。

あきらめて帰ろうとしていたころ、ふと壁際に布でできたふわふわの靴が置いてありました。


歩くことを医学的に分析して開発しました。もっと元気になれる靴

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介護靴というらしいです。

こういうのを履くべきだったのです。普通の靴の幅が多少広くなった靴が履けるわけはありません。

一度試してすぐに気に入ってくれました。快歩主義というメーカーの靴です。

ファッショナブルではありませんが、歩きやすさ優先です。

目的物が獲得でき、お昼は屋上で中華料理を食べました。エビチリのエビがすごく大きくプリプリでおいしかった。

帰省しても息子にごちそうを作らない姑

別の大きな謎は、私たちが帰省してもお母さんが絶対にごちそうを作って待ってくれるということがないことです。

これにはかなり当惑しました。

ごちそうを作ってほしいというよりは、息子に愛情を示さないということがショックだったからです。

しかもこれがものすごく意地悪な人ならわかります。わざと作らない。

そうではなくお母さんはいつもニコニコしてて、帰省を楽しみにしているというのにです。

初日はもちろん滞在中、一度も特別にごちそうを作るということもありません。

その上、夫の話によると、子供のころお母さんはいつもたくさんのおかずを作っていたとのこと。

それなのになぜ?

年齢のせいといえばそれまでですが、結婚したての頃はまだお母さんも60代です。

結局私が至った結論は

子育て中は子供や夫に食べさせるというミッションが明確だった。

遠くに住んでいるのは私たち夫婦で一年に一度の帰省。

恐らくお母さんのマニュアルには、

「年に一度、家族が帰ってきたらどうするか」

という項目がないのだと思います。

ないなら作ろうと思った。

ある日帰省の日取りが決まった時に、

「夜着くから、お寿司買っててくれる?」

と頼んでみた。こんなこと頼む嫁はいないと思う。

そうすると

「わかった!」と張り切って買っててくれた。スーパーのだけど。

それ以来、帰省初日にはお寿司を買ってまっててくれるようになった。

一度、入力した情報はしばらく有効になる。

つまり空気が読めない人は、細かな指示が必要になる。

こんなことまで、言わせるか?と言うくらい細かい指示にすべきだ。

「これくらいあたりまえ」というあいまいで抽象的な概念はない。

言わなくてもわかる、ということはない。

地球で暮らす方法がかかれた本
お母さんにはマニュアルが必要だった

空気が読めない人は「常識」をどのように知ることができるのでしょうか。

息子が帰ったならごちそうを作るのが当然だ、というのはどこにも書かれていない。

もし書かれていたならお母さんはやっていたはずだ。

指示を一度与えたなら大抵の場合忠実に守り続けてくれる。

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周囲の人とどうかかわるか

空気が読めないお母さんは当然ながら周囲の人と、しばしばトラブルを起こしています。

もちろん本人は全く気が付いていません。

帰省の際は、迷惑をかけた人に謝ります。

そしてお母さんに指導します。

どんなことかと言うと、出かけたときに近所に住む友人に会って、帰りに車で家に送ってもらった。

「どうせ近所なんだから」とお母さん。

近所とは言え、通り道ではない。

「車に乗せてもらったら、ちゃんとお礼をして」とお願いします。

何時間も、帰省のたびに同じことを言います。

「友達に車に乗せてもらってお金を渡すのはタクシーみたいで嫌」だと反論。

何が問題かと言うと、そのお友達だってお金が欲しいわけではない。

空気が読めないお母さんが、当たり前かのように乗るという態度が気に食わないのであろう。

だから嫁の私にクレームが来る。

代わりに私がお詫びをする。お母さんへの指導をする。の繰り返しでした。

それでも繰り返し言い聞かせたことでわかってくれたようです。

これまで帰省のたびにお母さんと周辺の人たちとの間に立たされていました。

ちなみにこんなお母さんですから、息子である私の夫とはほとんど会話がなく過ごしていきました。

なので夫はお母さんと話すことが苦手です。

ある日気が付いたことがあります。

それはクレームを言う人の話だけ聞いてお母さんの言い分をちゃんと聞いていないこと。

それと同時にお母さんの世界で起きたことに、これからは介入しない方が良いことに気が付きました。

なぜならこれまで空気が読めないお母さんばかりを責めていたからです。

周辺の人と多少誤解やトラブルが起きようとも、それが彼女の人生です。

私はなんとか「常識」の枠に収めようと必死になってきました。

その「常識」は地球の常識にすぎません。

非常に限定的なもので、相対的なものです。

私たちはお母さんの味方にならないといけないのに、批判ばかりしていたのです。

ちなみにお母さんはどんなことを言っても後を引きずることはありません。

物事を単独で考える能力にたけています。つまり物事を関連付けて考えないから、すべてがその場で終わるのです。

それが宇宙流のコミュニケーションなのかもしれません。

だからこそ、彼女の夫にモラハラされても瞬間で忘れられたのです。

姑の正体は何か

宇宙船から降りた宇宙人

お母さんはアスペルガー、適応障害などの症状と似ているところはあるものの、どこか違います。

なにより自覚がありません。一体お母さんをどのカテゴリーに入れたらいいのかわかりませんでした。

結局のところなんのためにお母さんをカテゴリー分けするのでしょうか。

必要はないのです。それがわかったところで、私たちの場合はお互い何のメリットもありません。

宇宙人ということにしておきます。

それもカテゴリーですが。

宇宙人が地球の空気を読めなくて当然です。

成分が違いますから。いや、宇宙に空気ないからね。

これからは70を迎えたお母さんが無事に地球での任務を終えられるように、全力でサポートしたいと思います。

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おしゅうとの話はこちらで→父親はなぜモラハラを繰り返すか 

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