もしあなたの親が認知症になったらどう感じるでしょうか?
最初は受け入れるのに時間がかかることでしょう。ただの物忘れと思っていたのが、そうでないことに気づきます。
今まで出来ていたことが出来なくなるのは寂しいものです。
さて、私の父の認知症が進行しているので、現在の様子も含めて認知症問題について考えたいと思います。
数字で考える認知症問題
2025年の認知症の有病者数は約700万人
厚生労働省
700万人というのはブルガリアの人口とほぼ同じ。かなりの人数であることがわかります。
2020年9月時点で全人口の28.7%が65歳以上
総務省統計局
65歳以上の人口の割合が7%を超えると「高齢化社会」
65歳以上の人口の割合が14%を超えると「高齢社会」
65歳以上の人口の割合が21%を超えると「超高齢社会」
つまり日本は「超高齢社会」であり、大きな社会問題であることがわかります。
日本の高齢者人口は3,617万人おり、2025年には高齢者人口の5人に1人が認知症になるという事です。
数字を見ただけでぞっとします。
高齢者も認知症患者も増え続けるからです。
認知症が身近になっていることがわかります。
世界的にも問題になっています。
毎年1000万人近くが新たに認知症になる
WHO(世界保健機関)
つまり、今後世界で3秒に1人が新たに認知症になるという事です。
認知症老人の介護問題
症状には初期症状、中期症状、末期症状と分かれています。
物忘れがひどくなる初期症状では介護の必要は感じません。しかし、症状が進行して出来ないことが増えると介護の問題がリアルになってきます。
例えば、父は様々なものの操作が出来なくなりました。二段階以上のことが出来ないのです。オンとオフが精いっぱい。
もちろん、料理も出来ませんし、お風呂を沸かすことも出来ません。
それで、役所で介護認定をとることでさまざまなサービスを受けることが可能になります。
我が家も認定をとってから訪問介護員が来るようになったのですが、最初は大変でした。
両親共に自分でまだ出来ると思っているからです。知らない人が突然家に来るようになっても受け入れるのが難しかったです。
それでも、症状が進行した現在では、なくてはならないサービスになっています。
家族ですべてをしようとしたら疲弊してしまいます。使えるサービスは活用した方が長期的に見た場合無理がありません。
父の数々の奇行
さて、今はかなり認知症が進んでいますが、これまでにどのような症状があったのでしょうか?
一番最初に「あれ?」と思ったのは今から五年ほど前のことです。
当時父は70代後半。
退職してからは毎日テレビをボーっと眺める日々です。
そんな父が私たちに
「この間北京大使館に行ってきたんだよ。」と言いました。
どう考えてもいきなり一人で父が北京大使館に行く用事はありません。
動揺する私をよそに、うちの奥さんがいろいろと問い詰めます。
「だれといったの?
いつ頃行ったの?
パスポートは?」
どの質問にもそれらしく答えています。父の頭の中ではちゃんとストーリーがあって、本当に行ったことになっていました。
はじめて父がおかしくなったときの衝撃は忘れられません。
さらには
鎌倉に行ってくると言って車で出かけたのに、なぜか反対方向の小田原で警察に保護されて帰ってきたこともありました。
早朝に裸足で外に飛び出していったこともあります。
顔にケガをしていましたが、国道一号線沿いで発見。
他にも
一万円札をハサミで切り刻む。
灯油をコップに入れて飲む。
水道の蛇口を閉め忘れる。
窓ガラス破壊。
どんどん進んでいきました。
だんだん目が離せない状態になりつつあります。
なぜ認知症になったのか
父が認知症になった医学的な原因については知りませんが、認知症が脳の血管や神経細胞に起因するものであることを考えると、確かにほとんど知力を使わずに毎日生きていたことが一つの要素ではないかと思います。
趣味が全くなかったわけではありません。
時折ゴルフに行っていましたし、囲碁もしていました。
猫の額ほどの小さな畑で家庭菜園をしていました。
しかしどの趣味も夢中になるほどではありません。ほんのちょこっとする程度です。
さらに人との会話をほとんどしません。
というかできません。
そもそも会話が苦手で、一日中黙っています。会話をすることは頭を使うそうですが、家族が話かけてもうなずく程度です。
父の主な活動はテレビ鑑賞です。
67歳で退職してからというもの、朝7時から夜12時までテレビだけを見ています。
もちろんテレビ鑑賞の生活でも認知症にならない方はたくさんおられるでしょう。
そして毎日アクティブに色々なことに挑戦しても認知症になる方もいます。
父が家族を養うために一生懸命働いてくれたことには感謝しています。
そのおかげで両親の経済面を心配する必要はありません。
それでも、これほどまでにおかしなことが続くと、
それを受け入れることは子供にとって辛いことです。
大企業を勤め上げ、九州の田舎から出てきて都会に一軒家を建てたことをいつも誇りにしていました。
母親はそんな父を立てて、いかなる時も絶対服従でした。
「俺が一番すごい」と言っていた父が、夜中に裸足で外を茫然と歩いているというのはなんともみじめであり複雑です。
「なんで、自分でもっと認知症予防とか意識しなかったんだろう」と責める気持ちがあります。
今後の父の介護はどうなるのか?
さて、今は姉たちが両親のサポートをしてくれていますが、目が離せない状態が続くと大変になってきます。
日中は仕事をしていますし、プライベートの時間も必要です。
コロナが収束したら、私たちも日本に帰って親の世話をする必要があります。
認知症の問題を考えたときに、自分もそうならないようにしなければなりません。
まだ40代だからと言って大丈夫と過信してはいけません。普段から頭を使い、脳細胞をフル回転させる必要があるのです。
記憶力や計算能力が衰えないようにする必要もあります。本を読むこと、人とかかわることも大事です。
頭も体も心も元気なまま過ごせるように今から気をつけたいものです。
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