obachaakoが働いているパン屋「パルナス」の近くには標高1700メートルの山がある。
その形から「おにぎり山」と呼ばれていた。週末には多くのハイキング客でにぎわう。山登り初心者から中級者まで、気軽に登れることで人気だった。
店長はそれにあやかり「おにぎり山のパン」を作って売っていた。本来ならパルナスはロシア風のパンが主流であるため、おにぎり山のパンとは路線が異なる。
その上、勝手に自分の商品を並べていいものだろうかと、周囲の者はみな不安だった。
そんなこととは裏腹に、地元ではおにぎり山へ登山の際には「おにぎり山のパン」を買うことが定着していた。週末にはハイキング客ために、200個以上ものおにぎりパンを作らなければいけない。だから土日は店長のいとこが応援にくる。
「おにぎり山のパン」は格別おいしいわけではない。中に梅干しに見立てたイチゴジャムが入っている三角形のパンである。海苔としてチョコレートが塗っている。
ごく普通のジャムパンではあるけれど、山のてっぺんで眼下に広がる景色を見ながら食べるパンはさぞかしおいしいにちがいない。
夕焼けが街を赤く染めたころに、一人の少年が店に入ってきた。高校生くらいに見える。
うつむき加減で表情はよく見えないが、思いつめたようなオーラが漂っている。そして迷わずおにぎり山のパンをトレーに入れてレジに来た。
「おにぎり山のパン一個で80円になります。」
レジカウンターにお金を投げるように入れると、そそくさとパンを入れた袋を取り踵を返した。
obchaakoは湧き上がる不吉な予感を否定できず、思わず
「おーい、ちょっとまった」
少年はビクッとした。
「今から何しに行くの?」
少年は蚊の鳴くような声で
「別に」
と言った。
「今からおにぎり山に登るの?」
少年は何かつぶやいているけど聞こえない。向かいのドラッグストアのテーマソングのせいだ。
「ちがったらごめんやけど。おにぎり山で人生最後の日を迎えようって思ってないよね?」
少年は一層落ち着きをなくした。よく見るとかなりの半そでのシャツにズボンという軽装だ。
そこへ沢村さんが二階から降りてきた。chaakoは沢村さんへ助け舟を出した。
「沢村さん、この子は今からおにぎり山に登るって言ってるんだけど・・・」
「今からおにぎり山に!こんな時間からは登れんよー。午前中には登らんとその日のうちに帰ってこれないんだよ。ここから見ると低い山に見えるけど、毎年遭難する人が出てるんよ。だめだよ今からは」
obachakoは沢村さんへテレパシーを送った。
「あれ!もしかして、あなた自らおにぎり山へ遭難しようっていうんじゃないよね!?
ま・さ・か?
あらまー!!!それは大変」
沢村さんの大きな声を聞いて店長がキッチンから出てきた。
「何の騒ぎ?どしたん?」
沢村さんは大慌てで説明した。店長はもっと大慌てになった。
「変なこと考えたらいかんよー。今からおにぎり山に行って、30分もすれば寒くなって後悔するって」
chaakoはキッチンからチョココロネを持ってきて少年に差し出した。
「とりあえずこれ食べてみて」
沢村さんの勢いに押されて、少年はかじり始めた。一口目はためらいがちだったものの、ふた口目からはパクパクとかじりついていた。

パルナス店内で生じている普段とは違う雰囲気は店の外にも伝わった。
向かいのドラッグストアのパート勤務の藤本さんはその隣のタピオカドリンク店のクニちゃんを連れて店に入ってきた。
同じ説明を沢村さんから聞いて、二人はなんとか少年を思いとどまらせようとした。chaakoはクニちゃんにチョコレート系のドリンクを作ってくれるように、小さな声でお願いした。
大きくうなずくと、クニちゃんはタピオカドリンク店に急いで戻って叫んだ
「大至急タピオカチョコミルクティー作って!タピオカなし、チョコ倍増で!いそげー」
店内では沢村さんと店長、ドラッグストアの藤本さんとクニちゃんが懸命に少年を説得していた。少年は相変わらずうつむいてぼんやりしている。
タピオカチョコミルクティーを持ってきたバイト実習生の信夫と共に、隣の金物店の主人である高森さんも入ってきた。クニちゃんは少年にタピオカチョコミルクティーを手渡し、飲むように促した。高森さんは少年に戦争の話までしだした。

そうこうしているうちに、店内には大勢の人が押し寄せて足の踏み場もないほどであった。二階へと続く階段にも人が座っていた。

群衆の半分以上の人たちはもはやなんのために、店に入ったのかわかっていなかった。
「あれ、あの子どこいった?」
見回すといつのまにか、少年がいなくなっている。人込みに紛れてどこかへ行ってしまった。
そうして群衆は自然解散した。
沢村さんは心配だった
「まさかまだおにぎり山に行くつもりじゃないよね」
chaakoは
「きっともう大丈夫」
chaakoは少年にチョココロネとタピオカチョコミルクティーを飲ませた。
チョコレートの中にはアナンダマイドが含まれている
アナンダマイドは神経伝達物質の一つである。神経伝達物質は脳に作用する。
フランスのル・モンド誌によるとアナンダマイドは
「活力を与えて幸福感を持たせ、しかも副作用がほとんど何もなくて中毒レベルが低いという点で、チョコレートは穏やかに効く理想の麻薬」である。
chaakoは麻薬取締猫として得た知識で人を救ったのだった。
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忘れられない味。