前回のブログで書いたFRROに行った時の出来事です。
前回のブログはこちら⇒<インド生活>コロナ禍での日本への緊急帰国ー出国までの手続きには何をしなければいけないのか?
私が職員に関係書類を渡している時に、妻の横の椅子に一人の青年がやってきて座りました。
「どこからきたの?」
と話しかけてくれます。
浅黒い肌に、鼻筋の通った高い鼻。シュッとしています。
てっきりインド人とおもったら、なんと
アフガニスタンから留学に来ているとのこと。
耳を疑いました。
あの、ニュースで連日見るアフガニスタンです。
アフガニスタンという単語を始めて口にしました。
タリバン政権になったことで、大混乱に陥っている様子をつい数日前にニュースで見たばかりです。
遠い遠い海の向こうの異国の地の出来事が一気に身近になりました。
聞けば家族も非常に危険な毎日を過ごしているとのこと。彼自身も危険を感じて家族は、アフガニスタンに帰ってこないように言っているそうです。
私はここ最近、日本で増え続けるコロナ感染の様子を見て、「怖いなー」と思っていましたが、アフガニスタンで生活することの恐怖に比べれば足元にも及びません。
普通の日常さえ存在しない国に住んでいることは、想像をはるかに超える厳しさがあるでしょう。
そんなことを考えていると、自分の番が回ってきました。
先に手続きを終わった彼とは連絡先を交換して別れました。
自分のスマホのアドレスに、アフガニスタン人の連絡先が入っていることがとても特別なことに思えてきました。
彼の名前はジア。
初めてのアフガニスタン料理
それからしばらくして、ジア君からショートメールが来ました。
「あなたたちが日本に帰る前に、アフガニスタン料理でもてなしたいんだけど、いつ時間がある?」
という内容でした。
アフガニスタン料理!
しかも、一度しか出会っていないのに。
いや、大丈夫だろうか。一抹の不安はある。
こんなチャンス、人生でそう訪れるものではない。
そして数日後に約束した。
ジア君は早めについて私たちを迎えてくれた。

今回アフガニスタン料理をごちそうになったのは、「BAMYAN」という名前のレストラン。
日本で「バーミヤン」は、かの有名な中華料理のファミレスの名前です。
バーミヤンというのはアフガニスタンにある地域の名前だそうで。仏教遺跡があるところだそうです。
初めてのアフガニスタン料理にワクワクです。

店内に飾ってあったペルシャ絨毯にはアフガニスタンの地図が描かれています。
この地図を見てもわかるようにアフガニスタンはなんと六つの国に囲まれています。
東西の文化の影響を受けた多様性に富む国です。
インドから飛行機で2時間だそうです。

≪お店のメニュー≫
ケバブはアフガニスタン料理に欠かせません。
スパイスをまぶした焼き鳥といったところでしょうか。
イスラム教の人が多いので、お肉はチキンと牛と羊があります。
お店の外で、炭火で焼いていました。

日本でいう炊き込みご飯がたくさんあります。
お肉が入っているかどうかで値段が変わってきます。
マントウというアフガニスタン餃子も有名です。
ちなみにコロナ始まってからの初めてのレストランでの外食。
そしておそらく、これがインドでの最後の外食になると思われます。
小さな店内にはインド人以外にも色々な人種の人たちが食事を楽しんでいます。多分みんなアフガニスタン人。
ちなみに店内は換気ゼロ。壁掛け式の扇風機が風量Maxで回っています。
マスクをしている人は一部。
集団免疫がついてるから気にしていないのだろうか。
出来たメニューを順番に出すのではなく、全部そろってから出すのがアフガニスタン風。

チキンのケバブ。
下味がしっかりついています。でも、インドほどスパイシーではありません。香辛料はそれほど使わないようです。

先ほどのケバブと野菜をはさんで、ソースをつけて食べます。
インドのナンより肉厚でボリュームがあるのが特徴です。

ヨーグルトドリンク
インドではラッシーと言いますが、アフガニスタンでは「ドゥーグ」と言います。
甘いのをイメージして飲んだら、しょっぱい。
ミントと塩が入っていました。

アフガニスタンの餃子で「マントウ」と言います。
蒸した餃子の上にカレー味の豆のソースがたっぷりかかっています。それに加えてヨーグルトソースとチリパウダー。
日本の餃子からは想像できない味です。

日本でいう炊き込みご飯、インドではビリヤニ。
真ん中に牛肉の塊を煮込んだものがのっています。
ご飯は細長くてパラパラしています。
干しブドウの甘味がアクセントに。
ジア君はせっせと食べろ食べろと言わんばかりに、私たちのお皿に取り分けてくれます。
これでもかという山盛り。
中国でもよくこうされたなと思い出しました。
人生初めてのアフガニスタン料理をあっという間にたいらげてしまいました。
おいしかったです!
これだけ食べて、全部で700ルピーほど。
日本円で1000円ちょっとぐらい。
ジア君、ご馳走様でした。
ジア君に聞いたアフガニスタンのこと
アフガニスタンには主に三つの人種があるそうです。
中国系とヨーロッパ系とインドっぽい系、だったか。うろ覚えです。
ジア君はペルシャ語が母語だそうで、レストランの店員ともペルシャ語でしゃべっていました。
ジア君には男兄弟が5人、女兄弟が6人の大家族。
思わず、「お母さんは一人?」と聞きました。
子だくさんが当たり前の様です。
ジア君はつい最近アフガニスタンに帰国したものの、あまりにも危険だったために10日でインドに戻ってきました。
少なくともこの先二年は国に帰らない方が良いそうです。もし状況が変化するなら帰れると言っていました。
ジア君は落ち着いた物腰で、細かい所までよく気がきき、私たちはほとんど初対面でしたが楽しい時間を過ごせました。
ジア君の話によると、アフガニスタンの人たちはとにかく人を良くもてなし、どんなに貧しくても人を助けたり親切にしたりするそうです。
だから、「インド人は何にもしてくれへんから、あかん」と言ってた。
インド人十分親切やし、何度も助けてもらったけど、アフガニスタン人からすれば、そうでもないのです。
どうりで私たちがFRROで手続きをしていた時に、心配して声をかけてくれたのでしょう。
今回の食事のときも
「インドで困ったことがあったら、すぐに電話して」と言ってくれました。
自分も外人やのに。
アフガニスタンに行けばみんなこんなに優しいのでしょうか。
いつの日かアフガニスタンに行ってみたいものです。
食事が終わって家についてしばらくしてからジア君から
「ちゃんと家ついた?」
ってメールがありました。
どこまでも優しい。
これらからどうなるアフガニスタン
ジア君が食事中に時折ふと見せる、寂しそうな顔がとても印象的です。
どんなに楽しい時間を過ごしていても、故国にいる家族のことが心配でたまらないに違いありません。
今回思いがけないことでジア君と出会いました。
思えば、FRROに行ったあの日は、道にさんざん迷って到着したのです。
もしも、道に迷わずに順調に到着していたなら、手続きはとっくに終わりジア君と出会うこともなかったでしょう。
まさに「あの日、あの時、あの場所で君に会えなかったら」です。
そして今回の小さなきっかけでアフガニスタンのことを身近に感じ、考えるようになりました。
これほど親切で親しみやすい人たちが、苦しんでいるのを知るのは本当に胸の痛むことです。
そこには小さな子ども多く含まれます。
自分には彼らの無事を祈ることしかできません。
アフガニスタンの人々が、何も恐れることなく平穏な日々が来ることを本当に願います。


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